[2017-08-12] 「会員様インタビュー」 No.032[巽養蜂園 代表 巽 和宏様]今回の会員様インタビューは、淡路島の洲本市 下賀茂地区でお生まれになり、 家業である「造園業」を続ける中、とあることがきっかけで「養蜂家」としての 仕事をはじめられ、2014年には「淡路島日本蜜蜂研究会」会長に就任され、 「将来の子供たちに『安全で美味しいはちみつ』を食べさせたい」との想いで日々奮闘されている、 『巽養蜂園』代表の巽和宏さんに話を伺いました。
事務局:「巽さん、本日はよろしくお願いします。早速ですが、現在に至るまでの 巽さんの生い立ちを教えていただけますでしょうか。」 巽さん:「はい。昭和45年に洲本の下賀茂で生まれ、子供のころは地元の 小中学校に通いながら『洲本FC』という少年サッカーのクラブでサッカーをやっていました。 走り回るのが好きで、近所の山の中で虫取りしたり、海で釣りをしたりと、とにかく外で遊ぶことが 大好きな少年時代でしたね。 中学卒業後は、家業である『造園業』を継ぐため、県内で唯一造園科がある 『兵庫県立農業学校』に進学し、造園家になるための勉強をしてきました。 なかでも、活動の一環で、日々学び研究してきた内容を発表する機会があるのですが、 高校時代の3年間、上級生を差し置いて毎年全国で発表させてもらうなど、勉強と研究に没頭した 高校時代を過ごしました。 卒業後は、『親方』になることを目指し、京都にある『城越造園』さんで、有名な庭師に 弟子入りし、周りが休日を楽しんでいる中、休みの日でも親方についていって勉強させてもらう など、一心不乱に修行に励みました。 その熱意を買われ、親方と一緒に当時全国の現場にも連れて行って頂き、 数多くの造園の技術を短期間に実践で学ぶことができました。 その結果、『造園技能士』の2級・1級の資格をすぐに習得、 試験結果も250人中1番の成績を収めることができました。 そして、家業を継ぐために21歳の時に、ふるさとである淡路島に戻り、 『造園業』の仕事に就いたのです。
『宿泊客に販売するクワガタ』をホテルに卸売する機会がありました。 その時、私の人生を変える大きな出来事があったのです。 ある日クワガタに、餌として『中国産のはちみつ』を与えたところ、 1匹残らずクワガタが死んでしまったのです。 その時『こんな危険なはちみつを子供が食べているのか』という強い想いがこみあげ、 『安全で安心なはちみつは無いのか、無ければ自分で作る』と決心し、 日本のみつばちを飼い、はちみつの採取することをはじめたのです。 飼い始めた当初は『養蜂に関する本』で学び実践していたのですが、 正しいことは半分ぐらいで、思った通りにいかないことが多かったです。 昔から『自分で試さないと気が済まない』性格でしたので、 ありとあらゆる方法をひたすら試し、失敗を繰り返しながら根気との勝負を 数年間続けていました。 あきらめずにやっているうちに、2009年、前会長が『淡路島日本蜜蜂研究会』 という会を設立し、初年度8名のメンバーで『希少な日本みつばちの研究』 をする活動をしていました。 活動を続けるなかで2014年に私が会長に就任し、 研究してきたことを世の中の人々に広く伝えるべく、『国産はちみつ』を 売ることを考える活動に着手し、兵庫県の補助事業の助けも借りながら 活動した結果、東京の『三越』『伊勢丹』での販売もスタートすることが できました。 現在は、これまで明確な基準がなかった『国産はちみつ』の品質基準を 制定すべく、保健所さんと共同で基準・規約の作成に動いています。 そのような活動をしている中で、『日本みつばちの研究』を行っている全国の 大学機関とも情報交換をするようになり、私たちの活動が全国に急激に 広がっていったのです。」
多くの人を動かし、現在に至っているわけですね。次に、今後の展開について 教えていただけますでしょうか。」 巽さん:「実は、はちみつというのは、採取する年や場所によって 味が全く変わってきますので、同じ商品をつくることが非常に難しいと されています。 そこで、1つ1つの味が場所や採取する年によって変わることが 『ワイン』に似ていると思い、今後ワインのように 『銘柄を変えて香りや味の違いを楽しんでもらおう』という新しい試みを 考えています。 皆さんに『国産はちみつ』の販売を通じて、『淡路島蜜蜂研究会』の 存在を知ってもらい、『国産はちみつの正しい品質基準』を 全国の養蜂家と一般消費者に伝えていきたいと考えています。」
私たちも、巽さんをはじめ皆さんの活動を応援して参りますので、 今後ともよろしくお願いします。」
活動を続ける『淡路島蜜蜂研究会』さん。 高品質で味にも定評がある『国産はちみつ』 興味がある方はぜひお問合せください。 『淡路島蜜蜂研究会』 |