会員様インタビュー

[2017-07-27] 「会員様インタビュー」 No.022[株式会社ヤマニ西田水産 代表取締役 西田 典幸様]

「会員様インタビュー」 No.022[株式会社ヤマニ西田水産 代表取締役 西田 典幸様]

今回の会員様インタビューは、淡路島の岩屋に生まれ、近年漁獲量が少なくな
 
っている水産業界において、「淡路島の美味しい鮮魚の味をさらに良くし、
 
1番美味しい状態で食べてもらいたい」という想いで水産加工業を続ける
 
「株式会社ヤマニ西田水産 代表取締役の西田典幸社長」にお話しを伺いました。
 
 
事務局:「西田社長、本日はよろしくお願いします。まずはじめに、
 
西田社長が現在に至るまでの生い立ちについて伺えますでしょうか。」
 
西田社長:「生まれは1958年、地元淡路島の漁港町『岩屋』、
 
『鮮魚の卸売業』を営む『ヤマニ西田水産創業者』の家に生まれ、小中学校を
 
岩屋で過ごしました。実は小学校2年の夏休みに大きな交通事故で足を複雑骨折した
 
こともあり当時の入院の影響でその後の人付き合いが苦手になってしまったのです。
 
その後中学校ではテニス部に所属し、『1人でもできるコトに専念しよう』という
 
想いで卒業後は神戸にある高校の工業科に進学しました。
 
当時は岩屋から明石まで走っていたフェリーに乗って通学していたのですが、
 
悪天候の影響で良く船が欠航となり、そんな時はみんなで遊んでいました。
 
中には『フェリー運営会社を名乗って学校に本日遅くなると運行できなくなるので
 
乗船される生徒さんは早退させてください』という内容の電話を学校に入れている
 
友人もいました。
 
そのような高校時代を過ごした後は、神戸に本社がある工務店に勤めたのですが、
 
本社入社2か月後に直属の上司が入院となり、当初はお見舞いにいって仕事を
 
教わる日々が続き、2年目になって『現場を学べ』ということで西宮にある営業所に
 
転属となり工務店の仕事をやっていました。
 
 
そして23歳のころ、『いかなごの漁獲量が多くて忙し過ぎる』ということで
 
工務店を辞め、実家に戻り家業を手伝いをはじめました。
 
当時は淡路島の『岩屋』『森』『仮屋』『塩田』と多くの漁港で鮮魚を仕入れ、
 
『神戸』『大阪』『九州』『東京』を中心とした『全国の中央卸売市場』に
 
卸していたため、朝は5時から、最後の便が出発する夜12時をまわって片付けと
 
翌日の準備で夜中2時まで働きづめの毎日でした。
 
このような日々が10年以上続き、当時、美味しいのに獲れ過ぎて捨てていた
 
『いかなご』を保存できるようにして『漁師が食べている美味しい食べ方』で
 
多くの人に食べてもらおうと始めたのが『いかなごのくぎ煮』の製造でした。
 
そしてくぎ煮のノウハウを活用して『シラスの甘露煮』『茎わかめの佃煮』
 
の製造にも着手し、現在当社のヒット商品となっております。」
 
 
事務局:「西田社長ありがとうございます。次に皆さんどんな想いで仕事をされて
 
ますでしょうか。」
 
西田社長:「鮮魚の卸売からはじまった当社ですので、父の想いを引継ぎ、
 
未来に残していくために、
 
『美味しい淡路島の鮮魚の味を一番美味しい状態でお客様に食べて頂きたい』という
 
想いで従業員一同仕事に取組んでいます。そのため、当社で製造後出荷した加工品が
 
美味しい状態でしっかりとお客様へ届いているか、という点も大切にしているので
 
物流会社とのやり取りもしっかりとやるようにしています。」
 
 
事務局:「淡路島の高品質な魚を獲るプロの漁師がいて、西田さんのような
 
加工のプロがいて、さらに運ぶプロがいて、店頭に並びお客様に最高の状態
 
で届くように。ということですね。ありがとうございます。
 
それでは最後に『競合他社に対して圧倒的な御社の強み』というのを
 
お聞かせ頂けますでしょうか。」
 
西田社長:「はい、『新鮮な魚を自分達の目で観ながら自分達の手で良い状態に
 
できること』が当社の強みです。
 
これは創業依頼長年培ってきた職人たちの手作業で商品を作り続けているからこその
 
当社の強み、であると考えています。」
 
 
事務局:「西田社長、本日は貴重なお話を頂きありがとうございました。引き続き
 
美味しい加工品を作り続けて頂きたいと思います。今後ともよろしくお願いします。」
 
 
皆さま、淡路島でつくる美味しい鮮魚の加工品。
 
ご興味ございましたらぜひお問合せください。
 
「株式会社ヤマニ西田水産」
所在地:兵庫県淡路市岩屋2910-102
連絡先:0799-72-2336